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13課 一人ぼっちでプライバシー

 1 プライバシーと日本の実情

 プライバシーの日本語訳がない

 理由:昔の日本にプライバシーという概念がなかったから

 背景:村社会日本=( 相互補助 )を基盤に成り立つ
            
     → 情報の共有が不可欠

     家の形=しょうじやふすまで区切った部屋→密室とは言えない

     雇用=( 終身雇用 )の維持のため、あらゆる情報が求められた

 結果:プライバシーの育つ土壌はできない

 ※ 渡辺 武信さんの著書に学校の教科書にも乗っている「玄関扉」という文章がありました。
   それによると西洋の扉は「内側に引く」ことによって「welcome」の姿勢を表すと同時に
   外的からつっかえ棒で身を守る姿勢を表すそうです(確かそんな内容だった・・・)
   日本の障子の文化とは随分違うなと感心したものです。

 2 プライバシーの確立

 戦後、工業国として発展を遂げるにつれて、プライバシーの概念が注目される

 =脱農村社会へ。

 プライバシーの確立へ向けて:個人の空間が大切にされる。身辺調査をなくす

                   → 個人の生活に干渉しない。
 
 〈 だが実際は・・ 〉

 プライバシーの実態:一人の時間を持つ余裕のないサラリーマンの姿

 ※ この課では現代が何年をさしているのか分からないけど、バブル時代なのかな? 
  ファーストフードを代表として、一人で遊べるゲームも登場したので身近な例で盛り上げました
  最近の「一人カラオケ」とは意味が違いますね。ゲームもモンスターハンターのように通信ゲーム
  が増えてくると、友達のいない人はゲームすら参加できない気が・・・。
 
 〈 ところで 〉

 変わる通勤電車の風景:電車で化粧・マンガを読むサラリーマン・携帯とのお見合い
         
                →好きなときに好きなことを好きなようにやる=プライバシー?

 3 真のプライバシーとは

 プライベーとの語源:公的な空間から自分の自由にできる領域〈私的領域〉を作り出す
                    
             → プライバシーを守る=自分の領域を守る・・・私的空間の拡大

 〈 しかし 〉 ( 公的空間 )あっての( 私的空間 )
    
         = 公的生活の尊重がなければ、自らのプライバシーはない

  現在の風潮:他者から自分を切り離す( 無関心)になる≠プライバシーを守る

         = 公的空間と私的空間の区別ができない。

  結果:一人ひとりが孤立、他人とのコミュニケーションができなくなり、社会生活が営めない

 《 まとめ 》

 プライバシーの確立の結果が目指したものが公的空間から自らを切り離し、
 他人と関わることのない「一人ぼっちの無関心」であってはならない。

  ※ ここに関してはケータイを持ったサルかな。外国人入試(確か御茶ノ水)にも出題された
   名著です。人間は努力しないと「サル化」する。女子高生のルーズソックス&かかと踏みを説明
   している部分には笑いながらも「う~ん」と感心してしまいました。

  ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊 (中公新書)

 
 ※ この課は軽く流しました。コミュニケーションの方面からとらえたディスカッション。

   自分以外は○○に当てはまる言葉をいろいろ考えてもらいました。

   自分以外はバカの時代という本もありましたね。(一応読んだけどタイトルほどの内容は・・・)

   心理学的なアプローチとして香山リカさんの方が自分はピンときましたね。結構好きです。
      
    参照:儀礼的無関について「はてなキーワード」より

カナダ出身の社会学者、アーヴィン・ゴフマン(1922-82)が提示した概念。

「市民的無関心」と訳されることもある。

知らない人に、あえて、もしくは、いつの間にか、儀礼的に無関心を呈示をする/している現象のことを指す。見知らぬ他人同士のあいだで、不要な関わりが生じるのを避けるための暗黙のルール。

そこで行われることは、相手をちらっと見ることは見るが、その時の表情は相手の存在を認識したことを(そして認識したことをはっきりと認めたことを)表す程度にとどめるのが普通である。そして、次の瞬間にすぐに視線をそらし、相手に対して特別の好奇心や特別の意図がないことを示す。


現代の大都市においては、自分以外の人間は「知り合い」と「知らない人」に分類されるようになった。よそ者と違って、知らない人は「単に知らない人」に過ぎないのであって、個々人はそういった知らない人に対して多くの場合「無関心」に振る舞わなければならない。これを「市民的無関心civil indifference」と呼ぶ。この市民的無関心、つまりよけいなコミュニケーションをしないことこそ、都市生活を可能にしている相互行為上の条件なのである。



 
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